2008/11/27 木曜日
【観光】外灘②延安東路

実は、延安東路はクネクネ曲がってるんです。なぜなら昔は
この道には川らしき、水路があったからなんです。水路は
洋涇浜(ヤンジンバン)と呼ばれ、英国租界とフランス租界の
境界となりました。上の画像は、水路があった頃の延安東路
の復元想像図で、下の画像は、水路を埋め立て、広くなった
延安東路です。昔の名は、「Edward Ⅶ Avenue(漢字表記は
愛多亜路」でした。向こうが外灘方向なので、道の左側が
英米共同租界で、右側がフランス租界となります。英米共同
租界は200Vで、フランス租界は100Vと、インフラが別々に
なっていたので、電柱の形や消火栓の形が違ったそうです。
***********************************************************

また現在の、延安東路に戻ります。外灘が近付いてきました。
解放前、この辺りから見えたのは「女神像」だったとか…。
**********************************************************

そしてこの画像は、当時この辺りにあった「女神像」です。
正式名は欧戦紀念碑といい、上海歴史ガイドマップによると
『第一次世界大戦で戦死した、欧米居留民を記念して共同
租界と、フランス租界の境界付近のバンドに建造された女神像。
戦時中に、日本軍により撤去された。』・・・・となっています。
**********************************************************

この画像は、女神像があった所から見た外灘北方向です。
上の画像は、上海大厦(1934年竣工)が建っていないので
1933年以前のようです。真中の画像は、遠くに上海大厦が
見えるので、1934年以降なんでしょう。下の画像は、80年代
と思われ、もちろん、この時には女神像はなくなっています。













































読込中...
最近のコメント